きくさんの神社めぐり

手始めに倉敷の神社から始めて、いずれは全国展開

No12;御崎神社(総社市山手)

参拝日;2019年12月21日(土曜日)

昔の山仲間と福山の帰りに立ち寄った。

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素盞鳴命・大国主命・少名彦名命の三方が神として祀られています。現在の社殿は元禄8年(1695年)に再建されたもので、社殿の正面に長い廊下、境内の周りには堀が巡るなど、地方の神社では立派なたたずまいを見せています。

 

ここが窪屋郡(くぼやぐん)の郡家(こおりや)の跡

 大化の改新(西暦645年)に吉備の国窪屋郡の郡屋(郡役所)のあった所である。 周囲に廻らしたいかめしい当時の様子が今も残っている。道をへだてたすぐ東は 地つづきに津坂駅(つざかえき)の跡があり南の松並木の道は馬場といって東は 京から西の九州大宰府に至る当時日本で唯一の大路中国街道である。 又ここを岡本里(こほり)ともいった時代があり郡屋があったので岡本里と云っていた という説もある。

 

 黒日売(くろひめ)は窪屋郡司の娘

 仁徳天皇の代(約千数百年前)皇室から各国司にみえよき娘を召された時宮中の御用に 上った吉備国からは窪屋郡司の娘が上がった。皇室では黒日売の名を呼ばれて奉仕した。 帰国の後に天皇が姫の後を慕うて山方(山手)の郡屋へ行幸されて福山の春風野に 若菜を共に楽しく摘ませられてお歌を賜った。 天皇の御還幸になる時姫から切々たる別れを惜んで歌をたてまつった。

 以上境内掲示板より