きくさんの神社めぐり

手始めに倉敷の神社から始めて、いずれは全国展開

No8;足高神社 (倉敷笹沖)

参拝/撮影日:2019年11月16日(土)9:30

女性宮司さんも歳を取った。

足高山がかっては笹島と呼ばれていた事は知らなかった。笹島の沖が笹沖。なるほど。

屋根瓦がユニーク

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当社の現存する神社記録の最古の書は、平安時代醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。この書のなかに当社は記載されており、備中18社の1に数える最古社である。
 御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。
 寛和元年(985)花山天皇の御代、足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。
 天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして、奉幣御祈願の儀があった。翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。
 延慶元年(1308)花園天皇の御代、勅額と獅子頭一対を下賜。また、建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。
 徳川時代備前池田公の支藩、鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ、代継ぎの際は、代々必ず参拝された。
 足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ、東西航行の要路であり、潮流が激しく鳴門の如く、渦が巻いていたといわれており、通る船は、全て帆を下げ、島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり、車の交通安全が盛んとなっている。